鋼の錬金術師をみてなんでこうならんのかよと泣いた(ネタバレあり
年が明けました。あけましておめでとうございます。
昨晩から進撃の巨人ファイナシーズンPart2が放映開始しました。あとで配信でみます。
覚書として、2021年12月13日から急遽入院。そっから2週間以上入院しました。人は痛い思いをして学びますな。マジで人して生きる上で一番大事なのは健康でございます。先人の言うことは間違っていなかった。
内臓系の病気でもリハビリ期間が必要ということを、初めて知りました。今は何をするにも息が切れて辛い。時間を置いて、少しづつ体力戻して、体を世界に慣らしている最中です。
なので、睡眠時間大事。夜中にリアタイで視聴したいけど、無理すると肺が悲鳴あげるので我慢。配信がある世界の素晴らしさよ。
呼吸がままならないというのが、こんなに苦しく辛いものだとは、もちろん健康な時にはわからないわけで、酸素のチューブを鼻に入れつつ、(巨人になったあと、頸の後ろにいる間って呼吸はどうなってんのだろう)と考えていました。
無垢の巨人に喰われた人も、体の中に入った時点で死んでいれば何も感じませんけど、まだ死んでいなかった場合、窒息死もあったんだろうなと考えて、手を合わせたくなりましたね。
入院中はだいぶ長いこと熱にうなされていたので、ほんと日が経つのが速かった。寝てると1日が終わってしまう。暇を感じる余裕もない。
2週間近く経ってやっと平熱と微熱の間を行ったり来たりになって、なんとなく暇になったので、スマホでアニメをいくつか観ました。
その中のひとつ、『鋼の錬金術師』
世間の皆さんは、この作品が歴史に残るであろう名作であることをご存知でしょう。私、今更全編視聴しました。本当にごめんなさい。で、割と最初っから泣いた。
まあ話が面白い作品というのは1話目から凄いことよ、と進撃の巨人見た時も思いましたけど、ハガレンも同じく。
話が進むうちに、自己を犠牲にして得た特別な力を持ち、仲間と力を合わせ強大な敵に立ち向かい…て、あれ?なんか聞いたことない??ってなりました。
いやもちろん王道だし、そういうお話はそれこそ星の数ほどあるんですけど、エレンもエドワードになり得たのでは、て思ったのです。
兄弟がいて…いやジークとアルフォンスはだいぶ立場とか仲の良さが違うけど…幼馴染の大切な女の子がいて…いがみ合ったりするけど、大事にしたい信頼できる仲間がいて…
ねえ?
作者が違えば話が違うのは当たり前で、そりゃ同じだったらダメなんだけど、エレンはエドワードのようにもなれたし、エドワードはエレンにもなり得たよなあと、色んなことがごっちゃになった頭では思うのです。
エドワードは信頼する仲間がいたし、自分も信じてた。
エレンは信頼する仲間がいたけど、信じる対象を極端に狭めていった。物語の最後は、ミカさとアルミンくらいしか信頼していなかったんじゃないかなと思う。
104期の仲間は好きだったけど、信頼というのとはまた違う気がする。
信じられる未来は、自分が見た未来だけ。
それも変えることができたのではと思っちゃうけど、最後に「地ならししたかった」発言がぶっこまれたので、ここから先はまた別の日に書こう。
信頼と信じる、は意味が違うのよね。他者を信じその人の行動に任せる、託すが信頼で、信じるということは自分本位の行動。
エレンは果たしてどれだけの人を信頼して、そして信頼することをやめていったのだろう。
彼の孤独と狂気を思って泣ける。
ちなみに鋼の錬金術師では、アームストロング姉弟とアルフォンスがとても好きです。