ただいまと言うために戦うものと思い出の中でしか会えないもの
ネタバレあります。
私は言葉がくるくる回るだけで考察などはできない。
やろうとすると言葉が空回り、同じような表現で自分の尻尾を追うだけになる。
だからこれは私の感想、覚書です。ディアダイアリー的な、何か。
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エレン、ミカサ、アルミンの幼馴染組と、その他の登場人物との差を考えるたびに胸が痛むのが、「待っている人がいる故郷」組と「誰も待っていない思い出の中の故郷」組で分断されてるなというところ。
104期でもない。
マーレ対パラディ島でもない。
104期生として生き残っていた彼らは、確かにかけがえの無い存在であり、エレン曰く「大事だから」な存在であることは間違いないし、最終回を読んだ今でも、そう思う。
でも、そんな中でも大きな溝がある。
コニーには巨人になってもオアエリと言ってくれた母がいて。ジャンにも家族(確実に母はいる)がいて、サシャには両親と兄妹達が待っている。心配してくれて、心配したい家族がいる。いつか、生きて出会えたら「おかえり・ただいま」と言いたい人がいる。
マーレから来たライナー、ベルトルトにアニはそこが顕著で、「故郷に帰るんだ」と何度も言う。
待ってる人がいる描写がアニには早々に出てきたし、マーレ編始まるとライナーには待っていてくれた年老いた母と、慕ってくれる親戚の子がいて。
ベルトルトの生存を信じる父が出てきた。(見てるこっちもとてもつらい)
彼らは虐げられても、自分たちが命を張ってでも、家族と一緒に名誉マーレ人になるんだ、って目標がある。
エレンとミカサ、アルミンには誰が待ってるだろう。
思い出せる故郷は巨人に蹂躙され、瓦礫の中に埋もれてる。
3人とも圧倒的な暴力によって家族を失ってる。
それは突然やってきて、なすすべもなく奪っていった。
故郷を思うとき待つ人はいない。
俺と君とあなたしかいない。
待つ人がいるあなた達と、待つ人がいないわたし達との比較がどんどんどんどん明確になってきて、私は胸が痛くて救心が手放せない。
どうか救心を点滴してほしい。
最終回を読んだあと、私は泣いた。
家族ができるかもしれない未来が示唆されるアルミンと、対照的なミカサとエレンの関係に、私は泣けて泣けてしょーがなかった。
待ってくれる人ができたアルミン。
待ちたくてもいないふたり。
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なんだろう。やっぱり泣いてしまう。
そしてこの結末は最初から決めていたという先生に、ぐしゃしゃ〜という心のまま、素晴らしい物語をありがとうございましたとお伝えしたい。
こんなにも心に残る作品はちょっとない。